Voyage de La Pérouse autour du monde | ||||||||||||||||||||||||||
ラ・ペルーズ 『世界航海記』 18世紀後半、フランス政府は、James Cook が果たせなかった探検事業を完遂するため、国王ルイ16世自らが指令を出し、大博物学航海を行った。この航海では、特にヨーロッパ人にとっては謎であったベーリング海に通じる水路の探検が主な目的であった。同時にこれは、Cook の世界周航に対抗するための、フランスの威信をかけた航海でもあった。 探検隊の隊長に選ばれたのが、La Pérouse伯爵(Comte de La Pérouse = Jean François de Galaup, 1741-1788)である。La Pérouse は、1785年8月、2隻の船、ブーソール号とアストロラブ号を指揮し、ブレストを出発した。ホーン岬、サンドウィッチ諸島(現在のハワイ諸島)、カリフォルニア、アラスカ、マカオ、日本海(La Pérouseは、欧人ではじめて日本海に入り、それを命名したとされる)、タタール海峡、カムチャッカ半島、サモア、トンガ、オーストラリア…と、La Pérouse はクックに勝るとも劣らないような大航海を行った。1788年、La Pérouse はオーストラリアのシドニー付近を離れ、太平洋に向かったが、そのまま消息を絶った。出航後、サンタクルーズ群島のヴァニコロ島沖合いで嵐のため座礁し、おそらくはそのまま住民に虐殺されたとほぼ判明したのは、150年を経て20世紀半ばになってからである。 La Pérouse による記録の多くは、カムチャッカ半島にあるペトロパブロフスクに入港した際、これまでの発見について報告をするよう、将校の一人をシベリアを横断してフランスまで陸路で戻るように送り出していたため、無事に残された。 当図書室所蔵資料は、1797年に出版された初版と同内容で翌1798年に印刷・出版されたもの。4冊のテキストと1冊の図版からなり、博物学関係から風俗・風景・地図など、細密なモノクロ図版が多数収録されている。 |
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